着るということ

ファッションの本

着こなしそして書きこなし。美しい女性。それはやはり見た目の美しさという要素が大きいです。しかし、それが着るモノの美しさから来るものなのか、着るヒトの美しさから来るものなのか、それは判然としないところがあります。着る人は着る物を選び、身につける。だから、物と人が渾然一体となって美しい。という事になるんでしょう。

この本はそういう美しい着物そして着方がどういうものかを実に懇切丁寧に教えています。女性を美しく見せる基本の5色。黒、グレイ、茶、ベージュ、そして紺。この基本の5色を着こなすことで、女性は最も知的で美しく装える。著者が訪れたパリのおしゃれな友人のクローゼットに「来るべき戦闘に備えて、準備万端整えた兵士のような服」が、数少ない厳選されたほんの少しの枚数だけ、がっしりとした作りの頑丈なハンガーにかかっていた。という記述が非常に印象的です。

シンプルで美しく装う。著者の日本語もまた然り。ファッションとは知性である。著者の着こなし術、そして日本語の書きこなし術に学びたいところです。普遍妥当性を持った優れた洋服論この本で著者が説く洋服論は、時代に左右されない普遍妥当性を持ったものだと思う。実際、著者は、「流行と言うものの比率は、どんなに多くても三〇パーセント、それ以上は危険だ」という。しかし、その一方で、「ただしゼロにはしないほうがいい。流行の要素は、たとえわずかでもあったほうがいい。というのは、穴のあくまで着る服を常に新鮮に保ち、支えるエッセンスになるからである」と説く。ここに展開されている洋服論は、まさに穴の開くほど着られる服を探し出すためのエッセンスにあふれている。また、洋服を人格や芸術のレヴェルでとらえたい方にも多くの示唆を与えてくれるだろう。洋装の美学論。衣装デザイナー本領発揮、の洋装の美学論。著者の服に対する真摯な意見が、自分と服のあり方を再考する機会を与えてくれます。「服で自分をよりよく見せようなどおこがましい。等身大の自分を表現するものが服である。」「洋服は体で着るもの。体がよくなきゃダメ。和服は体型関係ないので、顔で勝負。」などどっきり発言も多数。「四季を通じて持つ服の点数を少なくすれば、良いものを長く着る習慣がもてる」との発言は、良い意味でいかにも欧風かぶれ。しかし例えば春と秋では、気候は近いとは言っても気分が違う。春の緑と秋の緑では緒の図と違うし、お盆の頃にはゴールデンウィークに着ていた服の布でさえ厚ぼったく暑苦しく触るのも鬱陶しいくらいなのに、というのが私の正直な気持ち。そんな私を叱るように著者は続けます。「日本人は洋服を着物を着るように着ており、洋服の真髄を知らない。」と。着物の美学をひきずって洋服を着ているということは。いま着物を着ようと思ったら、洋服の感覚で着ればよいのかしら。最近、着物を着る機会が多いのですが、どうもしっくりこなくて困っていたのです。ルールとか着付けの問題よりも、生活の面で。例えば着物といえば絹ものが多いけど、一生の間に数回しか洗えない服なんて汚くないですか?絹の着物ってパーティドレスなのかも。としたら普段はやはりざぶざぶ洗える木綿や麻。着物も木綿のを着ればよいのか・・・などと、心はつい着物の方にとびます。水野 正夫着るということ

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着こなしそして書きこなし。美しい女性。それはやはり見た目の美しさという要素が大きいです。しかし、それが着るモノの美しさから来るものなのか、着るヒトの美しさから来る…